【第5話】登校班トラブルが意味不明!登校班のない地域で育った私の苦悩~2年生1学期編~

感謝してます♪

今日も気前よく第5話を書いていこうと思います*^^*

あんなに辛かった過去も、今振り返ってみればこうやってブログにも書けるし、誰かのお役立てるならそれだけで「いい経験をしたな」と徐々に思えてくるから不思議です。

高須クリニックのあの素敵な院長先生風に言うなら「不登校なう。」の状態の時は、明るい未来を見通すことはできませんでした。

でも、周囲の方々のおかげでなんとひとつの峠を越すことができた私たち親子は、現在不登校真っただ中の子どもさんを抱えた保護者の方に向けては、「なんとかなる」と力強くお伝えしたいです。

そして、そんな今回の第5話では、文字通りなんとかなる流れを作ってくれた担任の先生がまるで救世主のように登場するのですが・・・またまたドラマチックに小学校2年生1学期編が始まります~*^^*

 

 

娘の不登校で働けなかったので在宅ネット副業で結果を出し離婚しました

【第5話】登校班トラブルが意味不明!登校班のない地域で育った私の苦悩~2年生1学期編~

実は私、よしこさんは登校班のない北海道で生まれ育ったため、毎朝特定の場所に小学生の子が集まってから集団登校するという文化が、全く理解できませんでしたorz(ごめんなさい)

なぜなら、北海道の冬はものすごく寒くて(氷点下10度以下)、特定の場所で数人の子としばらく待ち合わせていると、最強に寒くて凍えてしまうからです。

家のストーブでしっかり温まったら、そのぬくもりを抱えているうちに、学校までとにかく急ぐ・・・みたいな風土でしたので、埼玉県内の小学校の登校班という制度は、意味不明だと思ってしまいました。

そのため、登校班のカルチャーや暗黙のルールみたいなものが全くわからず、しかも娘が不登校ということで、登校班が同じ子たちやその親御さんたちとどう関わっていいか、ものすごく悩みました。

毎朝、登校班まで「今日うちの娘は休みます」と声をかけるのは、1年生の1学期の最初の4月で力尽きていまして、その後うちの娘は登校班に参加しないものとして、他の子たちには先に学校に行ってもらうことをお願いしていました。

小学校2年生になったこの1学期は、始業式の前日に改めて登校班の班長さんのお母さんに「うちの娘は登校班に参加できないので、今年度もうちの娘が来なくてもそのまま登校してください」とお伝えしました。

年度の始まりの時から、こうやって登校班に参加しないと宣言するまでには、すごく勇気が必要でしたが、言ってしまえば内心ほっとしたように思います。

2年生になって、小学校の担任の先生が変わって、とても若い男性のF先生になりました。

去年度からの申し送りが学校内であったようで(当たり前ですね)、F先生は最初から娘にしっかりと関わってくれようとしてくれたのですが、件の元夫婦間での離婚話を子どもたちが聞いてしまったことで、体調不良が続いてしまい、2年生の1学期の4月は学校にそもそも本当に体調不良で通学できませんでした。

F先生は、娘の体調回復を待ってくれて、「5月に入ってから徐々に徐々に、学校に慣れていきましょう」とぐいぐい保護者である私にも電話をかけてきては、保護者面談を繰り返してくれたのですが、再三再度の小学校への呼び出しに、私としては「ちょっとイヤだな」「面倒だな」という正直な気持ちもありました。

それに対して、F先生としては、娘が朝から登校班で登校できるようにと何度も言ってきました。

でも、そこに関して私はYESと言うことができませんでした。

なぜなら、娘が1年生2学期の頃に、小学校に呼び出されて担任の先生・教頭先生・校長先生と3対1で私が面談することになった時に、私が相槌のつもりで「はい」と言ったことを、あとから学校側から、

 

「あの時、お母さんは “はい” と返事をしたじゃないですか」

「なぜその “はい” と返事したことを守らないんですか」

 

と非難されるような言葉に何度も晒された経験があり、なぜ会話の言葉尻を揚げ足取るように何度も言われるのか、私には理解できず、驚きと諦めの感情になった経験があるからです。

私は会話の中で、それ以上でもそれ以下でもない相槌としてその「はい」という言葉を発しただけでしたから、そこに仕事上の何か拘束力のある契約が成立したかのような意図は全くありませんでしたので、このような会話すらも、そもそも面倒すぎてもう無理だなと思ってしまいました(遠い目)

そのため、F先生にも、

 

先生の話は聞いて、その内容は理解していますが、「はい」という返事は同意したことになるので言えません

 

と何度も伝えました。

・・・なんだか、アメリカの契約社会のようなことになってしまっていましたね、当時の私^^;;;

 

そんな難航する局面が続く中でも少しずつ変化がありまして、娘が小学校2年生になったら、下の息子が幼稚園の年中さんになっていたので、朝、息子の幼稚園登園の時間に合わせて娘も小学校に遅刻で登校するというリズムを作り始めることができていました。

幼稚園の登園は、朝の9時までなので、まず息子と娘を連れて幼稚園まで行き、担任の先生に息子を引き渡します。

当時、幼稚園と小学校はグラウンドで繋がっている立地でしたので、今度は娘の手を引いて小学校までグラウンドを通って小学校の玄関まで行き、娘の2年生の教室まで一緒に付き添い、F先生に娘を引き渡すというルーティンでした。

この「二段階登校」が実現できた日というのは、朝の10時から午後の2時半までの4時間半は、誰にも気兼ねしない自由な時間を確保できましたので、私はインターネットビジネスの時間として最大限活用して、ひたすら自分のサイトの記事を書いたり業務委託を受けてお仕事をもらった分の記事を書いたりと、お仕事に集中しました。

そんな私の在宅でのお仕事のスタイルは、当時住んでいた家の近所の方には、子どもの幼稚園の送迎が終わったらずっと自宅にいる専業主婦のように思われたでしょう。笑

ちなみに、元夫は家の外のお掃除はほぼ毎週末にするだったので、よく近所の方から「お宅のご主人、マメに庭のお掃除されていていいわね」と声をかけられることが多くて、この時期もそうやって声をかけてくれる方がいました^^;;;

そんな時の私は、自分が女優だと思って、にこやかでしあわせそうな笑顔の表情で、

 

「はい♪おかげさまで、とてもありがたいんです*^^*」

 

と、見事に台詞を言いきりまして、今年の主演女優賞は自分がゲットしたな・・・(遠い目)としみじみ思ったものです(^-^;

 

 

娘の2年生の1学期の頃は、学期の前半は離婚決断を含めて本当に様々なことが起きてとても大変でしたが、ラッキーなことにそこから少しずつ仕事のリズムを作ることができ始めるようになりました。

ちなみに、息子の幼稚園年中さんの方は、2人目ということでPTA役員になってしまったのですが、娘の時よりもいくぶん気持ちに余裕も持てていたので、ママ友さんたちとママさんバレーを楽しむこともできて、それは埼玉時代の良い思い出になりました♪

娘の登校日数もなんとか増えてきまして、定期的に「学校に行きたくない」とは言うものの、1年生の時よりはお友達ともしっかり関わることができて来まして、近所でのお友達もようやくこの頃になって作れるようになりました。

親としては、ものすごい安心材料になり、近所のお友達の皆様には今でもとても感謝しています。

夏休みが近くなってきた、2016年7月頃には、仕事もだいぶ軌道に乗ってきたので、

 

「顔晴ってる自分にご褒美をあげてもいいよね~♪」

 

と思いまして、ご褒美の自分なりの条件として、

 

  • 子どもたち2人とも幼稚園と小学校に行けた日で
  • 子どもたちが帰ってくるまで仕事をひたすらやると決めた日

 

には、帰宅途中にあるファミリーマートに寄って、コンビニカフェの中で一番好きなファミマのコーヒーMサイズと2015年にアメリカに行った時に約1週間宿泊したマリオットホテルの朝食で毎日食べていたオイコスの濃いヨーグルトが、ほとんど同じものがファミマでも売っているので、それを購入して、お仕事のおともにしていました。

わすが数百円のご褒美ではありますが、自分にとっては、その頃できる最大限の贅沢でして、しあわせを感じていました*^^*

 

この頃の私の仕事のスタイルは、アフィリエイトサイトとオウンドメディアサイトを作ることでして、ちょっと専門的な用語になってしまいますが、ざっくり説明すると前者がスキンケアやサプリメント、それに美容脱毛などのサービスのご紹介をする口コミ評判をまとめた感じのサイトで、後者がGoogleアドセンス広告収入を得るためにサイトのPV(ページ閲覧数)をとにかく増やすSEO対策サイトでした。

インターネットビジネスは、このような様々なサイトを作ってあちこちのサイトから売り上げをあげていくことで収入を得ることができます。

私はこれを、インターネットビジネスの先輩の方々に教えてもらいながら、自分ひとりではさすがに無理だったので協業スタイルでサイト作りに励んでいました。

子どもたちが両方とも幼稚園・小学校に行けた時は、日中の約4時間記事を書きまして、その後は夜子どもたちが寝静まったあとに約2時間以上、毎日合計6時間くらいが平均的な私の仕事の時間だったと記憶しています。

在宅ネットビジネスを副業から本業に切り替えて以降、徐々に先輩アフィリエイターの方々の業務委託も含めて、毎月ほぼ安定してパート収入レベルまで持って来れるようになってきました。

それに対して、活動ができなくなってしまった美容関連のネットワークビジネスは収入は減少していきましたが、ネットビジネスに一点集中したという意味ではよかったと思います。

不登校の娘を抱えながらですと、本当に、毎日一定の時間会社に拘束されるような仕事のスタイルが無理で、自宅でインターネットとパソコンさえあればできるこの仕事は、本当にありがたいし天職だと感じていました。

 

まもなく夏休みという頃、当時住んでいた埼玉県加須市の近所で夏祭りが開催されまして、娘と息子は近所のお友達と一緒に、「お友達と連れ立ってお祭りを楽しむ」という体験が初めてできました。

私自身もとても楽しかったのですが、子どもたちにとっても、一歩ずつ新しいことができて新しい関りを作るという過程を踏めるようになってきました。

娘の小学校2年生1学期は、どれだけ担任のF先生に登校班で登校することをアドバイスされても、さすがにそこまで頑張りすぎることはできないと、私は断り続けました。

 

それくらい、一年前2015年夏の頃の精神的な落ち込みはひどかったですし、そこから回復して様々なことができるようになるところまで、私と子どもたち3人で進んで来れたので、

 

「無理をすることは危険」

「自分たちのペースを守ること」

「周囲がどれだけ、これやった方がいいとアドバイスして来ても、それに流されずに一番守らないといけないものは何なのかを決めて、それに沿って行動すること」

 

この不登校の娘と作る行動指針3原則みたいな感じで、生活のリズムを軌道に乗せて、仕事のリズムももっと軌道に乗せることを意識していき、最終的には離婚の際には経済基盤をしっかり作ることを目標に、チャレンジしていく時期でした。

登校班という存在とは、完全に切り離して生活すると決めて、そこはその通りにできたので、当時のご近所や学校という意味での「世間」がどう言ってきたとしても、私としては自分の希望を叶えた状態がものすごく気楽でした。

登校班のような、特定の地域や学校における常識があったとしても、不登校と向き合う中で、それが必要ないことだと思ったら、断ったり距離を置く勇気を出してみることは、私は有効だと今でも思っています。

 

次回は、娘の2年生の夏休みと2学期初日編になります*^^*

まさかのF先生からの驚きの提案があり、娘の不登校と向き合い寄り添いながらも、息子とのバランスを考えて、一個ずつ駒を進めて行く時期にいよいよ突入しますので、次話の更新もぜひ楽しみにしていてくださいね♪

 

 

 

つづく

 

 



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