【第3話】登校拒否の小1の我が娘、アメリカに英語学習に行く~1年生2学期編~

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先日から、この「娘の不登校で働けなかったので在宅ネット副業で結果を出し離婚しました」のストーリーの更新をfacebookなどの各種SNSでお知らせ開始してみたところ、「続きが読みたいです~!」とおっしゃってくださる方がいて、更新するのがとても励みになっています。

ありがとうございます(≧◇≦)

さあ、そして今回の第3話ですが、小1にして貫禄の3年目の登校拒否状態になった娘を連れて、私はアメリカに1週間ほど逃亡(?)することになります。

下の息子はまだ当時3歳で、そんな子どもたちを連れての太平洋横断となりました。

純粋に観光というわけではなく、個人的に気に入っていたネットワークビジネス(セントジョーンズワートにとてもお世話になり、精神的な危機を脱せたので)の本社視察という、どちらかというと仕事が目的だったのです。

が、子どもを置いて私だけ海外出張に行くことができないくらい、娘の不登校がひどい状態で、元夫や元夫のご家族に長期間預ける選択がもうできない状態になるまで追い詰められていたというのもあります^^;;;

それでは、第3話にズームインです~♪(何のフレーズ)

 

 

娘の不登校で働けなかったので在宅ネット副業で結果を出し離婚しました

【第3話】登校拒否の小1の我が娘、アメリカに英語学習に行く~1年生2学期編~

今回の第3話では2015年(平成27年)9月からの、娘の小学校1年生2学期の様子を書いていこうと思います♪

2学期に入って、一番ひどかった私の精神状態がようやく復活してきたのもあって、もう何度チャレンジしたかわからないくらいだったのですが、せめて2学期の頭はなるべく学校に行かせようと奮闘してみることにしました。

学校の先生方もとても心配してくださっていたので、特定の曜日はなんと小学校から車でお迎えが来てくれるという、なんとも超VIPな状態だったのです。

ものすごくありがたかったです。

皇族の秋篠宮悠仁様だって自力で小学校に通われているだろうに、うちの娘は

 

なんとも優雅な小学生だな・・・(遠い目)

 

と、感謝の気持ちとともに、なるべく意図的にプラス思考に思うようにしていました。

それでも、だんだんと無理が出てくるのですね^^;;;

小学生の子どもの就寝時間って、9時までには寝ましょうとかよく指導されると思うのです。

でも、この頃の娘は夜の10時になっても11時になっても起きていて、私と2人きりになる時間を待ってから、いざ深夜になると「明日、学校に行きたくない」としくしく泣き出す日々が続くようになります。

これ、体験した親御さんしかわからないと思うのですが、毎晩毎晩我が子に「学校に行きたくない」と泣かれることは、こちら側にとってはものすごく精神的に追い詰められます。

 

「夜早く寝かせる努力が足りないんじゃないの?」とか

「朝早く起こして朝ごはんをまずしっかり食べさせる習慣を身につけないと」とか

「子どもさんの背中を押してあげて朝学校に連れてきてください」とか

 

色々言っていただけること、それらすべてが本当に正しいアドバイスというものをいただいていることは頭ではわかっていても、これまでの登校拒否歴の長さであったり、家庭の中では娘の不登校に関するすべての責任が「母親ひとりにある」という風に周囲の元の家族から言われ続けると、生きているだけで精一杯の状態になるわけで、それらのアドバイスをその通りに実行する気力がもう出せないんです。

それでも、1年生の2学期のスタートの時点で、なんとか気持ちを取り戻して不登校を克服できるように再チャレンジしようと決断できたのは、2015年10月は子どもたちを連れてアメリカに行こう!と計画を立てていたからというのもあります。

なぜそんなビックリするような行動に出たのか?というと、日本国内以外の新しい世界の景色を娘にも見せて、学校に行きたくないと悩んでいることが「この世界のすべてではないんだよ」と言葉だけではなくて、実際に見せたかったんです。

まあ、ほぼほぼ国外逃亡&現実逃避に近かったような気もしますが、そうでもしないと親子で倒れることになるという危機感があって、行動に移してしまったんですね。笑

 

※成田空港の出発ゲートをくぐり、いざ飛行機に搭乗します~!の時に私たち親子3人でパチリと記念撮影してもらった写真♪

成田空港からサンディエゴを経由してソルトレイクシティに行くという、総移動時間は24時間くらいかかるという民族大移動レベルではありましたが、冒頭でも少し触れましたように、観光ではなく仕事が目的だったので、仕事仲間も飛行機が一緒にいてくれたおかげで、移動時間も楽しく過ごすことができました。

※一緒に映っている右側の女性は、私の妹ですね*^^*

異国で日本語ではなくて英語のコミュニケーションが必要であるという、娘のこれまでの人生史上初めての体験は、心身リフレッシュできたと思いますし、その後不登校状態に一時的になっても「ほら、世界はこの埼玉県加須市だけじゃない、アメリカという国に実際に行ってみて、全く違う景色を見てきたから覚えているでしょ?」「英語の世界も楽しいものなんだよ」と話すことで、励ます材料にもなりました。

同行してくれた仕事仲間の方々にも、子守りでお世話になることが多くて、大変助かりましてこれもとてもありがたかったです。

 

ちなみに、元夫は私たち3人がなぜアメリカに行くのかについても完全に無関心でした。

そのため、帰国後は成田空港から地元の駅まで大きなスーツケースを抱えて2時間半以上かけて自力で帰りまして、そこが一番疲れが出ていたので大変ではありましたが、自分という人間のしあわせな生き方を実現するためには、将来離婚するしないという判断は別として、元夫と切り離してももういいだろうとそのあたりからスッキリと思えてきたようにも記憶しています。

 

そんな経緯があっておかげさまで無事に帰国したのちは、私たち親子3人にはちょっとだけ嬉しい変化がありました。

それは、小学校1年生の娘自身も、例えば、日本国内では自動販売機が道路のあちこちに設置されていて、150円くらいを投入すればいつでも好きな時に飲料が手に入るのは、アメリカでは絶対に治安上ありえないことだと気づけまして、そんな小さな発見から日本という国のありがたさが理解できたようで、その後は学校にもなんとな~く通学はできるようになりました。

それでも、朝から登校させようとすると、私も娘もお互いにものすごいストレスがかかったので、遅刻での登校が当時の私にとっては最大限のできることでした。

一言で、「生活習慣を見直して、朝からひっぱってでも学校に連れてくればいいじゃない」ともしかしたら、こちらをご覧くださっている方の中には思われる方もいらっしゃるかもしれませんが・・・

 

24時間365日、ほぼ娘と一緒の状態で、娘の嫌がることを強いるというのは当然親であるこちらにも何倍にも返ってくるストレスがあります。

 

これも、ごめんなさい、何度も言ってしまって申し訳ないのですが、本当に体験した人じゃないとわからない感覚な気もします。。。

どうしてこんな話をこの第3話で強調して書いてしまうのか?というと、それくらい不登校の子どもを持った母親という立場を体験してみた結果、周囲は言葉では励ましてくれるものの、この状態が24時間365日、そして丸3年以上続く地獄のような環境で、どんな気持ちになっているのかまでは伝わっていなかったからです。

例えば、学校に行きたくない理由が、「お腹が痛い」だったら、ある人は「だったら病院に行きなさい」というでしょうし、それは世間でいえば常識的なアドバイスかもしれませんよね。

ところが、その「お腹が痛い」と言う度に、病院で整腸剤を処方してもらっても不登校は治らないんです。

そのことを現場で自分の娘の状態から体感して、今度は病院に連れていかないまま学校を休むと、今度は「なぜ子どもがお腹が痛いと言っているのに、病院に連れていかないのか」という感じで母親のネグレクトが疑われるわけです。

このあたりの認識の差が周囲と私とで出てしまったことは、もう会話して歩み寄る余地がないくらいに孤軍奮闘状態でした。

その上、この状態で朝会社に出勤して夕方帰宅する形式の普通の仕事をすることはとても難しくて、とにかく在宅でできるインターネットビジネスの道を開拓していくわけですが、それも「いつも家にひきこもってパソコンばかりして」という風に事情を知らない周囲の人は感じるんですね^^;;;

 

そんな時に、心の支えになったのは、

 

学校に行く権利があるけれど、学校に行かない権利もある

 

と、斎藤一人さんの本にそのように書いてある一節を見つけたことでした。

この時期はこれを読んでどれほど救われたことでしょう。

それくらい、正直なところ、アメリカに一時的に逃亡したところで問題の根っこの部分が解決しないことくらいはわかってはいました。

でも、ほんのわずかなリフレッシュでもいいから、私は欲しかったんです。

私だけ一人で仕事でアメリカに渡航するのは簡単でしたが、まだ小さい娘と息子を連れていくとなると、旅費は3倍以上かかりました。

ソルトレイクシティが寒暖の差が激しい地域で、渡航の際は冷え込むことも予測されていたのに対して、トランジットのサンディエゴはメキシコとの国境に近くて暑い地域だったため、夏物から冬物までを一式子どもたち2人分トータルで揃えないといけない状況だったからです。

そのため、子どもたちの分の旅費は、元夫には相談せずに私の名義で埼玉りそな銀行で旅行ローンを組んで借入をしまして、旅費に充てることにしました。

自分で決めて、子どもたちの成長のために今の時期にしかできないことをチャレンジするという意味では、誰にも相談しなくてよかったと思います。

もし万が一誰かに相談したとしたら、非難して止めようとするのが関の山だったからです^^;;;

 

 

******2019年(令和1年)の後日談******

帰国後の仕事のペースと、娘の不登校の対応も考慮して、80万円の旅行ローンを約5年かけて返済する計画を立てました。

しかし、その後インターネットで自宅でもできるサイドビジネス(副業)に集中しまして、おかげさまで成果を出すことができたので、繰り上げ返済を2回行い、当初の完済予定日より1年以上早く旅行ローン全額+利息分を返済完了することができました。

 

※実際に埼玉りそな銀行から届いた旅行ローン契約終了(ローン完済)のお知らせ通知です。

シングルマザーになると決めて、元夫に家庭内で大反対されてサイドビジネスの道を進むことを諦めなくて本当によかったと思います。

私がどうやって、不登校の娘を抱えながら元夫の反対にあっても、在宅でできるサイドビジネスで稼ぐ道を作ることができたかはこの記事の一番下にあるLINE@で無料音声ファイルプレゼントでお伝えしていますので、ぜひ参考にしてみてくださいね*^^*

***********

 

そういえば、帰国後の話なのですが、この時期は「母親(私)の、娘に対するネグレクト」が恐らく小学校側から疑われていた頃でして、その根拠としてこんな出来事もありました^^;;;

ある日、娘の小学校から不登校のことで呼び出されまして、誰にも子どもたちを預けられなかったので、仕方なく娘を息子を連れて3人で一緒に夕方で日もだいぶ落ちて寒くなってきた小学校に行きました。

ところが、職員室に顔を出した途端に、「どうして子どもを連れて来たの?」という風に言われまして、なぜ保護者一人で来ないのか・・・というような空気感でザワついた先生たちを見て、私もちょっとザワつきました。汗

結果、子どもたちは別の先生が別室で面倒を見てくれることになり、私は、当時の娘の担任の先生と教頭先生と校長先生とに囲まれて、3対1の面談をするという事態になってしまいました。

学校側のお話としては、娘の不登校がひどいのに、なぜお母さんは仕事を優先しようとするのか、ということや、娘の生活リズムを整えてあげましょうという話だったように記憶しています。

しかし、元夫からの生活費が最低限な上に、児童手当の支給分を子どもたちのために使えない状態だったため、娘のために何かしてあげようとするならばまずはお金が必要で、私が働かないわけにはいかないのです。

また、24時間365日、不登校がひどい娘と向き合い続けて、この頃で3年目に入っていましたから、母と子で運命共同体のように不登校の呪縛だけで1日が終わるのは、

 

恐怖以外の何物でもなくて

 

そこから何とか脱するためには、私自身が仕事の時間を確保することでの気分転換も絶対的に重要な要素だったわけです。

 

先生サイドから見れば、「離婚しているわけでもなく、立派な家もあって、ご主人もちゃんとした仕事をしている方なのに、なぜ?」という風に映っていたでしょう。

 

さすがに、私も、その3対1の状況で、夏頃の精神的な落ち込みからやっとのことで復活できた時期でもあったので、心を開いて誰かと会話する気力はまだ出せなかったので、なるべく話が早く終わるようにと思いながら対応しました。

私のうやむやな態度に、校長先生がちょっとキレ気味だったのですが、娘の母親は私であり、帰宅してまた娘と向き合うのは私しかいないので、他人の感情はもう気にしないことにしました(遠い目)

いずれにしましても、当時の埼玉県の小学校の先生方には、小学校と当時の自宅間の車での送迎などで、かなりの工数と時間をかけさせてしまったのは事実ですから、今にして思えば心配してくれていたんだなと思い、改めて感謝の気持ちです。

娘との小学校1年生2学期という時間をどうやって乗り切ったのか?というと、アメリカに逃避行したのと、当時仕事でお世話になっていた社長さんを始めとした仕事関連の、子育て経験のある女性陣にも娘の状態を打ち明けて、具体的な話を聞いてもらうことで乗り切れた部分がとても大きかったです。

本当に今回の経験で、ひとりでなんでもやろうとしないで周囲の手を借りるというのも、とっても大事なんだなと学びました。

 

そして・・・待ちに待った冬休みが来るのでした♡

 

しばらくは学校から離れた環境で、好きな時間割で家庭でも過ごすようにものすご~~~く心がけました。

娘も私も、同じ埼玉県内の大好きなお友達のところに一緒に遊びにいったり、お泊り会をしたりと、時間を楽しめる余裕がかなり出て来ました。

そして、ついに “運命の” 3学期が始まるのでした。

 

「え、”運命の” ってどゆこと(^-^;」と思われそうですが、はい、運命の日がいよいよやってくるので、次回【第4話】もお楽しみにです~♪

 

 

 

つづく

 

 



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